« 雪の下野 | トップページ | 「おかあしゃんよくできました」 »

記憶という装置

基本的に日記にはあまりタイムリーなことは書かないようにしているんだけど(書けないというのが正確かも)、どうしてもいろいろなことを思い出してしまうために書いてしまうこともある。
たとえば、こんな文章を読んだ時。

10年前のあの朝、自分が何をしていたのかははっきり覚えていないけれど、朝テレビで見たことより、会社に着いてから知ることの方が、そのひどさをましているのだろうなと思ったことだけは忘れられない。
結局その日、会社の関西の支店やその関係者の無事を確認することは到底出来ず、危機管理網の一端を担っていた上司のフォローに奔走したのだと思う。
もともと創業の地西日本に強い会社だったこともあり、秘書として付いていた上司はみな、関西出身だった。

地下鉄サリンの時、普段は乗らない千代田線のその区間に、いつもより早い時間に乗るはずで、まさに、遭遇していた可能性があった。あの頃、結構ストレスがたまっていて、朝早めに出て日比谷のオフィス街を散歩通勤することが多かったのだ。
たまたま、あの日はそのつもりで早く出たのに、思ったほど早い電車に乗れなかったので、めちゃ込みの快速に乗り換えて千代田線には乗らなかった。
あの日はたまたま忙しくて、ずっとオフィスにいたら、昼前に関連会社のおじさんが汗を拭き拭き飛び込んできて、そのニュースを教えてくれたっけ。

もっと古いことを思い出せば、日航機の事故のこととか。
母に「九ちゃんが死んだわよ」と起こされたのを今でも昨日のことのように思い出す。
寒い中、理不尽な思いを自分の中に抱え込んだまま起き出したあの日、自分の問題を、他人のせいにすることは出来ないのだとちゃんとした意味で気づき始めたのかもしれない。
努力してもどうにもならないこともある。でもこの悩める日々は永遠に続くわけではなく、死は、ある日突然災難が降ってくるようにやって来るのかもしれないのだ、と。

そんな記憶の断片が、わたしという不定形なアメーバのような実態しか持ちえない人間を形作っている。
それに気づくことも、日常の中ではそれほど多くないのだが。

|

« 雪の下野 | トップページ | 「おかあしゃんよくできました」 »

コラム」カテゴリの記事

コメント

TBとコメントありがとうございました。
ブログにしてから、どんどん現実感覚の失われつつある日常が急に近くに寄り添ってきたような妙な気分があります。

そう、わたしも、タイムリーなことを書くのはニガテです。なんかいろんなことをごまかそうとしちゃうし、声高に言い続けるとかそういうのが好きじゃなくて。だけどたまに鞭打って書きます。やはり書くことでしか見えてこないものもありますものね。なんてことを考えさせられました。

いつも楽しく読ませていただいてますよ~。

投稿: ellie | 2005.01.21 15:31

ellieちゃん、調子どう?
わたしはコーヒーがー怪しいとにらんでますよ(^^; お大事に。

コメントありがとうございました。
タイムリーに書くなら、本当にすぐに書きたいんですよ。
しかし、だいたい何日も遅れてしまうので、余計に書けないですね。
それにあれは書いたのにこれは書かないのか?とか、あとで読み直したら絶対変だと思うに決まってる、とか、自分で変な縛りのようなものを作ってしまったり、本当に難しいです。

投稿: luna | 2005.01.22 17:11

一番近い経験は地下鉄サリン事件でしょうか。その日たまたま有給を取ってたのですが、事件が起こった地下鉄は妹がいつも通勤に使う地下鉄、しかも同じ時間。時々刻々と報道される情報に肝を潰し、妹の勤める銀行に電話した所、たまたま一本乗り過ごした、と言う事で安心した覚えが。今でも克明に思い出せますね。

投稿: DannyBoy | 2005.01.24 06:12

友人の上司は地下鉄で被害に遭われ、ずっと後遺症が残っているそうです。災厄が身近に、と思った出来事でした。

投稿: luna | 2005.01.24 15:33

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/43901/2624588

この記事へのトラックバック一覧です: 記憶という装置:

« 雪の下野 | トップページ | 「おかあしゃんよくできました」 »